あのとき、あの味

「食」がある風景を描くエッセイ

故郷の春の味

自分が当たり前だと思っていた物事が

自身が生まれた地域限定の習慣であったことを知るということは多々ある。


特に食べ物については

故郷を離れた途端に目にしなくなったり

友人に話しても「は?」という顔をされたりで

そのことを知らされることが多い。


私にとってのその1つ、いがまんじゅう。

艶のあるやわらかな餅に

桃・黄・緑に着色された米がまぶしてある。

ひなまつりに纏わる菓子なのだが

米からできている餅に米をまぶすというところに

なんともいえない田舎らしさがある。

中身はなめらかなこしあんだ。


先日、名古屋出身の友人に話題にしてみたところ、全く知らないとキョトン顔。

名古屋は私の故郷・三河地方のお隣で

あるある的なリアクションを期待したのだが、

道端で親友と似た人に声をかけ

「人違いです」と言われたような拒絶感だ。


これが地元の和菓子屋やスーパーで並ぶと

春の訪れを感じる。

成長とともに雛人形は飾らなくなっても

いがまんじゅうは食べるのだ。

学校給食で出ていた記憶もあるが今はどうなのだろう。


つやつやむっちりの餅と餡子の歯ごたえに

こりこりぷちぷちと変化を与える米つぶ。

米の色には魔除け・生命力・豊作への願いが込められているという。

そんな意味は知らなくても

その存在はそのまま、雛飾りに備えられているものとして脳裏に残っており

三河出身女子の、それぞれの春先の思い出として刻まれているのだろう。


さておき、なぜ愛知で「いが」?

徳川家康の伊賀越え、稲い花(いいが)の訛り等、諸説あるようだ。いがぐりに見た目が似ているから、というのもある。


春もひなまつりも縁遠いネーミング。

名前の後付けっぽさがなんとも

のどかな田舎らしい。


今年は売っているうちに、帰省できるだろうか。


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