あのとき、あの味

「食」がある風景を描くエッセイ

花金と女

金曜日。一週間走りきった多くのサラリーマンが、明日は休み!という高揚感とともにゴールテープを切る日だ。さらに、給料日が重なると、誰も褒めてくれない代わりに「お疲れさま、自分!」感が増す。


給料日の夜は外食をすると決めている。今月は寿司とビールにしよう。頻繁には食べられないご褒美的価格と、糖質タッグを摂取することに対する罪悪感をねじ伏せられるのはこういう日しかない。


とはいえ、百貨店の上層階にあるレストランフロアの寿司屋だ。店に入るとテーブルを案内され、旬の握りセットとビールを注文する。先にビールだけが運ばれてきて、寿司が来るのを待てずに半分を飲み干したところで寿司が到着。

よし食うぞ、と思ったとき、隣のテーブルで注文を決めている老夫婦の、夫の方の台詞が耳についた。


「俺もあれがいいなあ…にしても、あーゆー女でも一人で食いにくるんだな。」


「あれ」と呼んだ寿司は、私の前にある寿司を指差している。妻は続いてこちらに視線を投げ、あんな高いもの頼めませんよと夫をたしなめた。夫は、また一瞬、ほんの一瞬こちらに視線を向け、今にも舌打ちしそうな顔をした。


視界の隅で、そうした一連を捉えた。相手と目は合っていないため、私は前をむいたまま寿司を食べ始める。


「寿司屋に、一人で来る人もいるんだね」ならまだ受け入れやすい。あーゆー女。「寿司屋×一人」が問題なのではない、とすぐわかる言い方だ。一体、私はどーゆー女に見えているのだろう。少なくとも彼の中では「寿司を一人で食うにはそぐわない女」に写っている。私はしらすの軍艦を咀嚼しながら、冷静に考えた。


思い当たることと言えば、実年齢よりも若く、というより幼く見えていること。自慢か!とも言われかねないので、コンプレックスだとも言い出しにくい、私の決定的コンプレックスだ。

これには仕事でも苦労させられている。30過ぎにもなるというのに、ファーストコンタクトで「やれやれ、おじょーちゃん来ちゃったよ」と怪訝な顔をされ、何度いやな思いをしたか。隣の男のさっきの表情は、そういう時の客の顔に少し似ていた。


だからって、寿司を一人で食ってはいけない女ということにはならないと思うのだが、他に思い当たることもないので、それではと、「寿司を一人で食うにふさわしい女」はいかなるものなのかと考えながら、周りを見渡していた。


カウンター席に初老の男女が数人。一人で来ている女性は70近いだろう。紫の色付き眼鏡にグレーヘアだ。そして、向かいのテーブルに私より少し歳上だろうサラリーマンが3人、その横のテーブルは同世代くらいの女性とその両親とベビーカー。


やはり、私の仮説通りなのかも。恐らく、寿司屋で若(く見える)い女が一人で寿司食うな、と言いたいのだ、隣の老人は。たとえば私がサラリーマンの島に混ざってさえいれば、寿司屋の一風景として認めてもらえたに違いない。または、肩パットの入ったごわごわしたスーツを着て、グレーヘアだったなら…


繰り返すが、百貨店の寿司屋であって銀座の高級寿司店ではない。いや、むしろ高級寿司店だったら、こんな不躾なことを直接言われるようなことはなかったかもしれない。そういう質の人間は入らないだろうという意味で。そもそも銀座の寿司屋だって若い女一人でも入っていいでしょ?入ったことないけど。


それとも「女でも一人で寿司屋に来れるほど、豊かになったのだね。社会も変わったね。」と言いたかったのかも。そういう風には受け止められなかったけど。


確かに、良い時代。一人で食事をすることに関しては世の中も寛容になった。一人で過ごすのが好きな私にはとてもありがたい。どこにでも行ける。一人者扱いは平気だ。慣れているので聞き流せる。そう、一人で寿司を食べに来た。だが、それが女かどうかって、何がそんなに問題なのか。


「私はおじーちゃんが原宿で一人でパンケーキ食べててもにっこり歓迎。花金、乾杯!」


隣への心の声をビールで押し流し、残りの鮪を頬張り、店を出た。


さて、来月の給料日は何を食べよう。


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