あのとき、あの味

「食」がある風景を描くエッセイ

エア居酒屋で、朝食を

30代にもなると、学生時代の友人と定期的に会う機会は貴重だ。普段被っている、仕事人間という殻を破り、胸いっぱいに息を吸って会話ができる感覚は、最近減っているような気がする。


3ヶ月に一度くらいは会う友人で、今回は表参道で朝食を取ることにした。定刻に店に着いて、窓際のテーブル席で水を飲んでいると、すぐに彼女が手を振りながらやって来た。大企業の本部でバリキャリ生活をする彼女。今日は、仕事帰りに会うのとは違い、すっぴんに近いナチュラルメイクに細身のジーンズ、パステルカラーのぽってりとしたカーデイガンを着ている。


休日の朝は無防備だ。寝起きで頭が軽いのも手伝って、会話もあけすけである。

「ミュージシャンの彼、その後どうよ?」

「あー、閉店ガラガラ。金返してもらったらね。」

「カネ?え、ヒモ?」

「いや、もう終わったことよ。リボ払いで返済継続中!」


繰り返すが、ここは表参道。日曜の朝8時半である。レトロな鳩時計が掛けられた白い壁に囲まれ、チェックのカーテンの隙間から注ぐ朝日に照らされながら、水色の丸いプレートにこの上なく可愛く盛り付けられたフランス風の朝食が目の前にあるというのに、会話の内容だけが夜中2時の居酒屋だ。仕事の近況や恋愛事情をわいわい話すのは変わらないが、話の中身は加齢と共にエグみを増す。


30代ともなれば、甘いカフェオレではなく、アルコールでも飲まないとやってられないと思うことが増える。学生時代と変わらないようでいて、私たちは確実に歳をとっていて、あの頃の私たちとは違う。

代わりに、きっと強くなっている。過去を懐かしんだり、傷を舐め合ったり、そんな無益に見えることだって、相手が誰でも良いわけではない。私たちは、他愛のない会話の中で、日々闘う自分を讃え、英気を養っているのだ。


とはいえ、タパス3種盛りではなく、綺麗なカットフルーツ、ゆで卵、ケークサレもたまには良いな、と思う。


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