あのとき、あの味

「食」がある風景を描くエッセイ

母のにんじんサンド

取れずじまいだった夏休みの休暇。実家で過ごす最終日、母がアルバイトをしているパン屋に久しぶりに立ち寄ることにした。


母を入れて3人で回している小さなパン屋。週に3日しか開かない。開店日は、この街にはここにしかパン屋がないのだろうかというくらい、常に客が列を成している。パンはすぐに完売となるため、店が開いているのは日にせいぜい3時間程度だ。パンが手に入る時間を把握していなければ、一体いつ開いているのか?と思うほど、入り口のドアにはいつも「売り切れました」の札が掛かっている。


ここの、にんじんサンドがたまらなく好きだ。具には、細かく切った、酸味のあるにんじんがふんだんに使われ、薄く塗ったクリームチーズ、しっとりとしたチキンととてもシンプルだが食べ応えがしっかりある。平日にしか売っておらず、有給休暇でもなければ買えないため、私にとってはレアな商品なので母に取り置きを頼んだ。

これだけ買って行くのもなんなので、季節によって具の野菜が変わるフォカッチャと、黒豆のあんぱんを買い、いつもご機嫌かつ丁寧な接客をする店長にレジで挨拶をして店を出ると、客の注文を取っていた母がちょこちょこと後ろをついて来た。昨年、乳がんの治療で髪を失った母は、今はベリーショートだ。少しぽっちゃりなのも手伝って、不謹慎ながら何かのキャラクターのようだ。モンチッチのような。

「もう帰っちゃうの?」

帰っちゃう、という響きは、何とも後ろめたい気持ちにさせるが、私は頷く。

「あんたのそのにんじんサンドね、ちょっとだけ、チキン多めにしといた。気をつけて帰ってね。」

そう言って、母はすぐに行列を分け、店に戻った。


新幹線で紙袋を開けた。そうそう、これこれ。久しぶりのにんじんサンドは、子供が描く、船の落書きのように見えた。上に小さな旗の飾りを刺したら完璧だ。切り口に配されたオリーブの実が窓みたい。


モンチッチのような母が、せっせとこれを作っている姿を思い浮かべると、何とも愛くるしさを感じる。私の「母の味」は、多くの人に素朴な味と一息つく時間を与えに航海する、この美味しい小舟である。


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