あのとき、あの味

「食」がある風景を描くエッセイ

何も知らない

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どうも、遅くなりました。

今日は遠くまでお越しいただきありがとうございます。

何もないところで恥ずかしい限りです。


道中、タクシーの中で

ひたすら反芻したフレーズを

実家近くの割烹の個室に入るなり

一息で吐き出す。


婚約者とその両親が挨拶にやってくる。

仕事を理由に遅れて駆けつけ

なんだか気まずい時間を短縮した。

相手が悪いのではない。ただ、苦手なのだ。


自営とサラリーマン一家。

共通点や話題探しに奔走した前回の食事会。

時折やってくる沈黙と

それを誰が破るか探り合う張り詰めた空気が

この先の結婚生活のめんどくささを暗示する。


だけど、いわば通過儀礼の1つ。

そう、険悪にさえならなければ良い。


父がやたら義父(仮)に話しかけている。

家では見せないよそ行き笑顔で

普段飲まない酒を飲みながら

畳み掛けるように話す。


夏はこの辺りは鮎釣りが盛んなんですよ。

外、真っ暗でしょ?星がよく見えましてね。

なんて、田舎特有の

何もないこと自慢をひたすら並べてながら

義父(仮)のおちょこに日本酒を注ぐ。


大丈夫か。耳が真っ赤だ。

茶碗蒸しを喉に流し込みつつ横目で見ていると

鮎釣りの話の流れで祖父の話になった。


父はね、鮎釣りが趣味だったんですよ。

小さい頃は良く一緒に行ってたんですが

その後は全くでね。

温泉施設で友人と将棋を打ってたときに

急に倒れましてね、そのまま2ヶ月。

目、覚ますことなくね。

今思うと、もっと付き合ってやるべきでしたね。


祖父が死んだのは、私が小学一年生の夏だ。

母と私が見送った。

実の息子である父も、祖母も

立ち会っていなかった。


大人の世界ってわからないなと思った。

大人になると

こういうことも悲しくなくなるのかもしれない。

そうか、親と同じ大人になるんだから

きっと悲しみに対して強くなるのだ。

考えてみれば大人が泣くのは見たことない。


祖父の死に対する父の態度を

そのように理解しようとはしていたが

心の隅で軽蔑していた。

私はおじいちゃん子だったから。


そんなことを考えていたら

話題は教師という仕事についてに変わっていた。


美術教師なんですけどね、美術ってね、

子供のいろんな側面が見れるんですよ。

地域で給食の試食会がありましてね。

学校に通えなかったお年寄りは

涙を流して感謝しながら食べてるんですよね。


こんな風に、笑顔で話す父を見たことがない。

美術教師をしていることは把握しているが

その内容について、

深く聞いてみたことはないし

むしろ聞いてはいけないことなのだと思っていた。


一生懸命お前らのために働いてやってるんだ!

したくもない仕事を!毎日うんざりだ!


口論のたび、常々、そう聞いていたから。

そうか、お父さんは私たちを食わすために

毎日私が起きるころにはもう出かけてて

寝るときまでに帰ってくることはほとんどなくて

おじいちゃんが死んだときもいなかったんだ。


すべては私たちを食わすため。

そのために、毎日、うんざりだと。


ひたすら身の上話をする父は

寡黙な義父(仮)同様

まだ良く知らない人間のように感じる。


それが、余計に私の口数を減らし

今この時間を、居心地の悪いものにさせた。


私はこのまま、

この人のことをあまり知らないまま

他人と家族になる。


集合体に家族と銘打って

安心していてはいけないということだ。

何十年ともに住もうと

血が繋がっていようと

それ自体は何も意味を成さないのだから。