あのとき、あの味

「食」がある風景を描くエッセイ

ゆでたまご 尊いまるみ

バターを塗ったトースト、レタスときゅうりとスイートコーンのミニサラダ、そしてゆでたまご。いつも立ち寄る喫茶店の、決まったモーニングで私の朝は始まる。

ゆでたまごを皿の縁に軽く打ち付け、殻を剥き始めると、一緒に白身がべろりと削げた。注意して剥き続けるのだが、どうも殻とその下の薄皮が剥がれておらず、たまごは凸凹になる。よく肌に例えられるたまごだが、何とも痛々しい見栄え。自分で作るときにもよく起こるその現象を、私はたまごを“気難しいやつ”とレッテルを貼ることで見過ごしてきた。

店主が「また剥きにくそうだね」とため息交じりにこちらを見ている。「どうも最近うまくいかないんだよね。いろいろ試すんだけどね。」

他の客から指摘でもされたのか、ゆでたまごの出来具合を気にしているようだ。水から茹でるのがいいとか、熱湯から入れる方がいいとか、茹でる前に殻に小さな穴を開けるといいとか。なるほど、ゆでたまごとの良好な関係を築こうとする手立は、誰しも似ているようだ。店主は、100円ショップで買ったという、たまごの殻に穴を開ける専用の道具まで見せてくれた。プラスチックの中央に針が付いた台座に、たまごを置く構造だ。こんな道具が生まれるくらいだから、よほど世の人たちはゆでたまごの出来に頭を悩ませているに違いない。店主の試行錯誤もさることながら、ゆでたまごに纏わる“あるある”を、世間と共有できた気がしてほっとした。ゆでたまごは私だけにつれないわけではないらしい。

水温、殻に含まれる空気、ゆで時間…定かでないいくつもの条件が重なって、初めてつるりと殻が向ける。その爽快感とともに、ささやかに歓喜する、あの瞬間。やはりたまごだけに、まあるい光をはね返す、潔いたまご肌であってほしい。

一方で、大型チェーン店のモーニングに付くゆでたまごはにはないこの悩みは、毎朝早起きして仕込みをする店主の手仕事の象徴だ。ぶっきらぼうな店主が毎朝たまごと格闘する姿は何だか微笑ましいし、その手間と時間に心がじわりと和む。

次回以降のモーニングで、ゆでたまごがつるりと剥けたら、店主とその小さな奇跡を分かち合おう。その時は、たまごをサラダの中で崩すのではなく、さらさらと塩を振って、有り難く頬張りたいものだ。

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