あのとき、あの味

「食」がある風景を描くエッセイ

朝のあんぱん

今朝は、いつもより早く出社した。昨晩、担当しているイベントの運営に関する打ち合わせで上司と考えが合わず、そこから話が進まなかったのだ。

言葉少なく、表情がないためにとても冷たい印象の上司、長尾さんは、社内で最も仕事ができる人物だ。私は、思ったことをはっきり言う性格も手伝って、時々彼とは意見が食い違う。昨晩、冷静な長尾さんをヒートアップさせるまでに至り、正面からデスクを蹴られた。私は、喧嘩に勝てない子供のように涙を目に浮かべ、仕事を切り上げたのだ。

ブレない仕事ぶり、豊かな発想力。尊敬できる上司だが、会話でのアイスピックのような鋭い切り返しに心が折れるので、彼のことは感情のない機械だと思うことにしている。そういった普段の鬱積もあり、昨晩の私の態度は良くなかった。意地を張っているだけで意見が建設的ではなかったし、何より泣くなんてみっともない。これだから女はめんどくさいと思われたに違いない。

朝食はいつもロッカールームで軽く済ませる。あんぱんを食べたら、すぐに取引先にメールして…と考えながら入口のドアを開けると、長尾さんが立っていた。すぐに挨拶が出てこず、一瞬間が空いた後、ちょっと来て、と呼び出されたため、私は昨日の続きだと思い、彼の後ろに続きながら畳み掛けた。

「わかってます、一晩考えたんですけど、確かに長尾さんがおっしゃることの方が効率的ですし、私は目的を見失ってました。ですから…」

「朝飯食うんだろ?どれがいい?」

長尾さんは、抑揚のないいつもの感じで話し、自販機の方に体を向けて目を合わせない。予想外の行動に、見たことのない生き物を見ている気がした。

「あ…じゃあ、カナリスタのブラック、ホットで…」

自販機が淹れてくれたコーヒーを私が手に取ると、長尾さんは私のお礼を背中で受けつつ、黙ってそのままデスクへ戻って行った。

私は、ミニテーブルに掛け、熱いコーヒーをすすりながら、ずるいな、と思った。これは、いつも私をこき使っていることに対する感謝の念か、それとも、昨日は言い過ぎたというお詫びか。いずれにしても、彼は機械のようで機械ではなかったらしい。部屋の外からは、機械のような長尾さんが素早くキーボードを打つ音と、空調の機械音だけが響いている。

朝の糖分補給にあんぱんは最適だ。そして、お供はお茶よりもコーヒーが良い。口の中で、名古屋めしのコーヒーぜんざいみたいになるのが好きなのだ。今日はいつもより、温かいコーヒーの苦味とあんぱんの甘味が、目覚めきってない身体に染み渡る感じがする。

それにしても、私が毎朝、ロッカールームで朝食を食べていることを知られているのが何とも気まずい。さて、昨日の続き、サクッと進めよう。私は、長尾マシンの正面の席へ、昨日までとは違う足取りで向かった。


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