あのとき、あの味

「食」がある風景を描くエッセイ

ご褒ビチェリン

思ったより残業が短く済んだ週末。月末で繁忙も一区切り、帰宅前に一息つこうと駅前に出来たイタリアの老舗カフェ「ビチェリン」に立ち寄った。それなりの高級店だという前情報があったため、普段着のチュニックなどで行ってはいけないと考えていて、職場帰りであるスーツならとりあえず恥はかくまいと思ったのである。

店に入って、ウエイターに人差し指で独り者だと伝えると、一番隅のテーブル席に案内された。深い緑のテーブルクロスと、小さなガラスの水差しにささった真っ赤なミニバラが高級感を醸し出す。私は席に着くと同時に、店名と同じ名前のついた飲み物を注文した。


天井のシャンデリアの光の粒をぼんやりと眺めながら待ち、しばらくして運ばれてきた物に驚愕した。ワイングラスのような器に入った、エスプレッソの上に厚めにクリームで層が作ってあるそれを、かつてニーチェやヘミングウエイが愛していたのだ、と飲み方とともにウエイターが教えてくれた。私は平静を装って聞いたが、よくあるコーヒー店が「●●ブレンド」と店名をつけたコーヒーを出すように、ここでも店名が付けられたメニューが、店一番のオーソドックスなコーヒーであると思っていたことを、急に後ろめたく感じた。


コーヒーではない、と気を取り直して、飲み物が携えている品格に相応しく、厳かな態度で臨まねばなるまい。ウエイターの言う通りにまずはそのまま口に含む。甘さ控えめの、というよりほぼ甘みのない、やや冷たいクリームがすぐ下の温かいカカオ飲料と混ざって、ちょうどいい温度で香りを口いっぱいに広がる。ウエイターはチョコレート飲料だと言ったが、「チョコレート」という表現が醸す甘いイメージにそぐわない。思わずクリームの層の表面を見つめて、目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。スプーンで全体をかき混ぜるという次のステップは、少し心の準備を要すほどであったが、再び口に含み、カカオ風味のエスプレッソ、エスプレッソ風味のカカオ飲料…と「チョコレート飲料」に代わる相応しい称号を考えていた。それほど、単に「チョコレート飲料」では片付かない深みを帯びていた。


こんな高貴な喫茶店で、ニーチェやらヘミングウエイはこれを飲みながら、高尚な思想を深めたり原稿に向き合ったりでもしていたのだろうか。やはり崇高な哲学や文学はこういう場所で生まれるのか。


そんなことを考えていると、すぐ横のテーブルには、私より少し若い女性2人の会話が耳に飛び込んできた。同じものを飲んでいる。会話の単語から察するに、同じ病院で働く看護師同士のようだ。「産休に入った上司の仕事が全部自分に回ってくる。その上、復帰した上司は夜勤を免除され、自分に夜勤が回ってくる回数が圧倒的に増えた。」と語気荒く嘆いている。


変わらないと、ふと思った。箱が煌びやかなだけで、中身はファミレスやスタバと同じだ。現に、横の2人は、私が何となく敬遠していたチュニック姿だ。しかもジーンズ、スニーカーときている。私がスタバでしているように、ここでパソコンを広げ出しても、誰も何も気にしないだろう。やらないけど。


案外、ニーチェやヘミングウエイも、いつも脳みそに抱えているごちゃごちゃを誰かと吐き出し合ったり、一旦忘れてぼんやり過ごしていたのかもしれない。そんな時間もでないと、クリエイティブな発想も新たな視点の発見もできないだろう。一般人と比較するのも気がひけるが、人間が集中できるのはせいぜい90分程度と聞いたことがある。今ほどカフェが溢れていなかっただろうから、きっとこの空間と飲み物の特別感は格別で、思い入れも深かったに違いない。


そう、特別感。ご褒美には欠かせない。残業に疲れた私は、世界的な著名人とこのグラスを交わし、口の中の風味で、その感覚を共有したような気がした。


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