あのとき、あの味

「食」がある風景を描くエッセイ

タイムスリップ・ココア

世の中の大半が仕事納めをしたであろうに

積み残しがあり渋谷で仕事だ。

0.5日分、後ろ倒しになった仕事納めだったが

帰り道、近くを通ったので

久しぶりに立ち寄ろうと思う場所があった。


名曲喫茶ライオン。

道玄坂の途中、

華やかな街の雰囲気の中に隠れて

ラブホやら何やら、いかがわしい小道にある

渋谷の歴史的喫茶店


20歳で上京したての時、

つきあっていた人に連れてきてもらって以来だ。

あれから干支が一回りしたというのに

相変わらず周囲の景観に不自然なほどに馴染まない

重厚な空気をまとっている。

エッチなグラビアポスターいっぱいの高校生の部屋に、ヨーロッパのアンテイーク家具を置いたようなちぐはぐ感だ。


ドアを開けると薄暗く、

天井にはぼんやりと青い蛍光灯。

12年前は閉店ギリギリに入店し

随分暗かった印象があったが、今は17時前。

時間関係なくいつでも薄暗いようだ。

お陰で、記憶の引き出しがすんなり開いた。


座席の配置が変わっている。

4人ほどが向き合って座るテーブルがいくつかある配置だった気がするが

今は全ての席が、音楽をかける立体再生装置に向いている。


少しは変わっているところがあって良かった。

あまりに変わりばえがないと

思い出のフラッシュバックが鮮明すぎて

胸がヒリヒリするから。

時間が心の傷を風化させてくれていることを

少しは実感したいのだ。


ここに連れてきてもらった彼とは、

その3年後に別れた。

それ以来、会っていない。

皮肉にも、周囲にいる客の数人が

当時の彼に見えた。

小柄で細身、少し疲れたカーディガンで

うつむきがちで煙草をふかす

影のあるアングラ風。

思い出の亡霊に囲まれた気分。


ウエイターが注文のココアをテーブルに置いた。

よせばいいのに、あの時と同じ飲み物だ。

ココア!甘い飲み物は飲まない私が。

上京したての当時の、

可愛らしさを装おうとする精一杯の背伸びを感じる。


甘いけど、あったかいな。

22時半を回ってて、余計そう感じたっけ。

カップから視線を上げたら

直前に観ていた映画の感想を笑顔で語る彼がいるのではないかと思うくらい

私は12年前に戻り、ピアノソナタに身を委ねるような気持ちで目を閉じた。


30分ほどで外に出た。

さて、きちんと歩かないと。

人混みに飲み込まれてしまう。


ところで、あの立体再生装置の上に

生首のように乗っている白い顔の像、一体誰なんだろう。私の女々しさを上から見下しているようで、いけ好かないわ。


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うちでカフェれる、良い時代

連休の中日、
ハロウィン直後から始まったクリスマス商戦も
いよいよ大詰め、
すぐに年末だ。

きらめくイルミネーションが
余計に街と人の高揚感を煽る。
人の数もいつもの1.5倍くらいに思えて
深呼吸しなければ
到底溶け込めそうにない気がしてしまう。

自分とその周りの
スピード感の違いによる摩擦がひどい。
私の場合、
師走の疲れはただ忙しいだけでなく
この摩擦のヒリヒリが大いに関係している。

すっぴん顔に流れかかる前髪を
てっぺんでちょんまげに括り、
パジャマ姿のまま過ごす日を
一週間に一回つくること。
こころのヒリヒリに対して
私がつくった処方箋。

こういう日は料理もしない。
テレビをずっと眺めてても良いし
実用書ではない、現実と離れた小説を読んでも良い。

コーヒー豆もうちで挽けば
それなりのコーヒーが飲める。
コンビニのフォンダンショコラ
最近は捨てたもんじゃない。

体温に似た温度の
とろとろのチョコレートソースの滑らかさを
口の中で感じながら
窓の外、階下の人や車の流れを眺める。
窓が、あっちの世界とこっちの世界の
時間の流れを隔ててくれている安心感。
今日はここでゆっくりしても良いよ。
そう言ってもらえているみたいな気持ち。

こういう時間を肯定的に受け止めることも
時には大切だと思うのだ。

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カップのフチ夫くん?

週に二回、出勤前に立ち寄るスペシャリテコーヒー店では、
注文した一杯を飲むカップを選ぶことができる。
カウンターの棚に陳列された
様々な柄、色を配したカップ
スマートなフォルムの洋風陶器、
ごつごつ、ぽってりとした日本の焼き物、
いろんな表情のカップ
図書館の本棚のように壁を飾っている。

私には、コーヒーにもカップにも
“いつもの”がある。
コーヒーはその日のおすすめ、
カップはガラスの透かしが入った
有田焼のものだ。
白地に、細かな丸い透かしが入り
洋風食器に見えるが、
縁に描かれた青い線が
有名な浮世絵の、海の水しぶきのようで
妙に日本風。違和感のない折衷具合なのだ。
あいにく、私の“いつもの”は、
一足早くモーニングを食べている
白髪のご近所マダムの元にある。
勝手に浮気をされた気分だ。

仕方なしに、棚の中で
私から一番離れたところにあるカップ
ろくに選びもせずに指差しだけで選んだ。

数分後、酸味のあるニカラグアの香りを運んできたのは、
ゆるキャラ付きの憎めないやつ。
身体をくねらせた少年が取手となり
やっこさんと番傘が描かれている。
コーヒーを口に運ぶたびに
ソーサーのやっことさんと、
幼稚園で作ったてるてる坊主のような表情をした
取手の少年と目が合う。

やっこさんと番傘は
同じテイストでしっくりくるが
この少年は何だ?

フチ子さんならぬ
フチ夫くんがくねくねそろりと
フチから降りて
取手になっちゃったのかね。

筆でそろそろと描かれた顔のパーツは
絶妙なアルカイックスマイルで
どちらかと言えば苦手なニカラグアの酸味が
いつもより和らいでいる気がした。

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エア居酒屋で、朝食を

30代にもなると、学生時代の友人と定期的に会う機会は貴重だ。普段被っている、仕事人間という殻を破り、胸いっぱいに息を吸って会話ができる感覚は、最近減っているような気がする。


3ヶ月に一度くらいは会う友人で、今回は表参道で朝食を取ることにした。定刻に店に着いて、窓際のテーブル席で水を飲んでいると、すぐに彼女が手を振りながらやって来た。大企業の本部でバリキャリ生活をする彼女。今日は、仕事帰りに会うのとは違い、すっぴんに近いナチュラルメイクに細身のジーンズ、パステルカラーのぽってりとしたカーデイガンを着ている。


休日の朝は無防備だ。寝起きで頭が軽いのも手伝って、会話もあけすけである。

「ミュージシャンの彼、その後どうよ?」

「あー、閉店ガラガラ。金返してもらったらね。」

「カネ?え、ヒモ?」

「いや、もう終わったことよ。リボ払いで返済継続中!」


繰り返すが、ここは表参道。日曜の朝8時半である。レトロな鳩時計が掛けられた白い壁に囲まれ、チェックのカーテンの隙間から注ぐ朝日に照らされながら、水色の丸いプレートにこの上なく可愛く盛り付けられたフランス風の朝食が目の前にあるというのに、会話の内容だけが夜中2時の居酒屋だ。仕事の近況や恋愛事情をわいわい話すのは変わらないが、話の中身は加齢と共にエグみを増す。


30代ともなれば、甘いカフェオレではなく、アルコールでも飲まないとやってられないと思うことが増える。学生時代と変わらないようでいて、私たちは確実に歳をとっていて、あの頃の私たちとは違う。

代わりに、きっと強くなっている。過去を懐かしんだり、傷を舐め合ったり、そんな無益に見えることだって、相手が誰でも良いわけではない。私たちは、他愛のない会話の中で、日々闘う自分を讃え、英気を養っているのだ。


とはいえ、タパス3種盛りではなく、綺麗なカットフルーツ、ゆで卵、ケークサレもたまには良いな、と思う。


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母のにんじんサンド

取れずじまいだった夏休みの休暇。実家で過ごす最終日、母がアルバイトをしているパン屋に久しぶりに立ち寄ることにした。


母を入れて3人で回している小さなパン屋。週に3日しか開かない。開店日は、この街にはここにしかパン屋がないのだろうかというくらい、常に客が列を成している。パンはすぐに完売となるため、店が開いているのは日にせいぜい3時間程度だ。パンが手に入る時間を把握していなければ、一体いつ開いているのか?と思うほど、入り口のドアにはいつも「売り切れました」の札が掛かっている。


ここの、にんじんサンドがたまらなく好きだ。具には、細かく切った、酸味のあるにんじんがふんだんに使われ、薄く塗ったクリームチーズ、しっとりとしたチキンととてもシンプルだが食べ応えがしっかりある。平日にしか売っておらず、有給休暇でもなければ買えないため、私にとってはレアな商品なので母に取り置きを頼んだ。

これだけ買って行くのもなんなので、季節によって具の野菜が変わるフォカッチャと、黒豆のあんぱんを買い、いつもご機嫌かつ丁寧な接客をする店長にレジで挨拶をして店を出ると、客の注文を取っていた母がちょこちょこと後ろをついて来た。昨年、乳がんの治療で髪を失った母は、今はベリーショートだ。少しぽっちゃりなのも手伝って、不謹慎ながら何かのキャラクターのようだ。モンチッチのような。

「もう帰っちゃうの?」

帰っちゃう、という響きは、何とも後ろめたい気持ちにさせるが、私は頷く。

「あんたのそのにんじんサンドね、ちょっとだけ、チキン多めにしといた。気をつけて帰ってね。」

そう言って、母はすぐに行列を分け、店に戻った。


新幹線で紙袋を開けた。そうそう、これこれ。久しぶりのにんじんサンドは、子供が描く、船の落書きのように見えた。上に小さな旗の飾りを刺したら完璧だ。切り口に配されたオリーブの実が窓みたい。


モンチッチのような母が、せっせとこれを作っている姿を思い浮かべると、何とも愛くるしさを感じる。私の「母の味」は、多くの人に素朴な味と一息つく時間を与えに航海する、この美味しい小舟である。


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朝のあんぱん

今朝は、いつもより早く出社した。昨晩、担当しているイベントの運営に関する打ち合わせで上司と考えが合わず、そこから話が進まなかったのだ。

言葉少なく、表情がないためにとても冷たい印象の上司、長尾さんは、社内で最も仕事ができる人物だ。私は、思ったことをはっきり言う性格も手伝って、時々彼とは意見が食い違う。昨晩、冷静な長尾さんをヒートアップさせるまでに至り、正面からデスクを蹴られた。私は、喧嘩に勝てない子供のように涙を目に浮かべ、仕事を切り上げたのだ。

ブレない仕事ぶり、豊かな発想力。尊敬できる上司だが、会話でのアイスピックのような鋭い切り返しに心が折れるので、彼のことは感情のない機械だと思うことにしている。そういった普段の鬱積もあり、昨晩の私の態度は良くなかった。意地を張っているだけで意見が建設的ではなかったし、何より泣くなんてみっともない。これだから女はめんどくさいと思われたに違いない。

朝食はいつもロッカールームで軽く済ませる。あんぱんを食べたら、すぐに取引先にメールして…と考えながら入口のドアを開けると、長尾さんが立っていた。すぐに挨拶が出てこず、一瞬間が空いた後、ちょっと来て、と呼び出されたため、私は昨日の続きだと思い、彼の後ろに続きながら畳み掛けた。

「わかってます、一晩考えたんですけど、確かに長尾さんがおっしゃることの方が効率的ですし、私は目的を見失ってました。ですから…」

「朝飯食うんだろ?どれがいい?」

長尾さんは、抑揚のないいつもの感じで話し、自販機の方に体を向けて目を合わせない。予想外の行動に、見たことのない生き物を見ている気がした。

「あ…じゃあ、カナリスタのブラック、ホットで…」

自販機が淹れてくれたコーヒーを私が手に取ると、長尾さんは私のお礼を背中で受けつつ、黙ってそのままデスクへ戻って行った。

私は、ミニテーブルに掛け、熱いコーヒーをすすりながら、ずるいな、と思った。これは、いつも私をこき使っていることに対する感謝の念か、それとも、昨日は言い過ぎたというお詫びか。いずれにしても、彼は機械のようで機械ではなかったらしい。部屋の外からは、機械のような長尾さんが素早くキーボードを打つ音と、空調の機械音だけが響いている。

朝の糖分補給にあんぱんは最適だ。そして、お供はお茶よりもコーヒーが良い。口の中で、名古屋めしのコーヒーぜんざいみたいになるのが好きなのだ。今日はいつもより、温かいコーヒーの苦味とあんぱんの甘味が、目覚めきってない身体に染み渡る感じがする。

それにしても、私が毎朝、ロッカールームで朝食を食べていることを知られているのが何とも気まずい。さて、昨日の続き、サクッと進めよう。私は、長尾マシンの正面の席へ、昨日までとは違う足取りで向かった。


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ご褒ビチェリン

思ったより残業が短く済んだ週末。月末で繁忙も一区切り、帰宅前に一息つこうと駅前に出来たイタリアの老舗カフェ「ビチェリン」に立ち寄った。それなりの高級店だという前情報があったため、普段着のチュニックなどで行ってはいけないと考えていて、職場帰りであるスーツならとりあえず恥はかくまいと思ったのである。

店に入って、ウエイターに人差し指で独り者だと伝えると、一番隅のテーブル席に案内された。深い緑のテーブルクロスと、小さなガラスの水差しにささった真っ赤なミニバラが高級感を醸し出す。私は席に着くと同時に、店名と同じ名前のついた飲み物を注文した。


天井のシャンデリアの光の粒をぼんやりと眺めながら待ち、しばらくして運ばれてきた物に驚愕した。ワイングラスのような器に入った、エスプレッソの上に厚めにクリームで層が作ってあるそれを、かつてニーチェやヘミングウエイが愛していたのだ、と飲み方とともにウエイターが教えてくれた。私は平静を装って聞いたが、よくあるコーヒー店が「●●ブレンド」と店名をつけたコーヒーを出すように、ここでも店名が付けられたメニューが、店一番のオーソドックスなコーヒーであると思っていたことを、急に後ろめたく感じた。


コーヒーではない、と気を取り直して、飲み物が携えている品格に相応しく、厳かな態度で臨まねばなるまい。ウエイターの言う通りにまずはそのまま口に含む。甘さ控えめの、というよりほぼ甘みのない、やや冷たいクリームがすぐ下の温かいカカオ飲料と混ざって、ちょうどいい温度で香りを口いっぱいに広がる。ウエイターはチョコレート飲料だと言ったが、「チョコレート」という表現が醸す甘いイメージにそぐわない。思わずクリームの層の表面を見つめて、目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。スプーンで全体をかき混ぜるという次のステップは、少し心の準備を要すほどであったが、再び口に含み、カカオ風味のエスプレッソ、エスプレッソ風味のカカオ飲料…と「チョコレート飲料」に代わる相応しい称号を考えていた。それほど、単に「チョコレート飲料」では片付かない深みを帯びていた。


こんな高貴な喫茶店で、ニーチェやらヘミングウエイはこれを飲みながら、高尚な思想を深めたり原稿に向き合ったりでもしていたのだろうか。やはり崇高な哲学や文学はこういう場所で生まれるのか。


そんなことを考えていると、すぐ横のテーブルには、私より少し若い女性2人の会話が耳に飛び込んできた。同じものを飲んでいる。会話の単語から察するに、同じ病院で働く看護師同士のようだ。「産休に入った上司の仕事が全部自分に回ってくる。その上、復帰した上司は夜勤を免除され、自分に夜勤が回ってくる回数が圧倒的に増えた。」と語気荒く嘆いている。


変わらないと、ふと思った。箱が煌びやかなだけで、中身はファミレスやスタバと同じだ。現に、横の2人は、私が何となく敬遠していたチュニック姿だ。しかもジーンズ、スニーカーときている。私がスタバでしているように、ここでパソコンを広げ出しても、誰も何も気にしないだろう。やらないけど。


案外、ニーチェやヘミングウエイも、いつも脳みそに抱えているごちゃごちゃを誰かと吐き出し合ったり、一旦忘れてぼんやり過ごしていたのかもしれない。そんな時間もでないと、クリエイティブな発想も新たな視点の発見もできないだろう。一般人と比較するのも気がひけるが、人間が集中できるのはせいぜい90分程度と聞いたことがある。今ほどカフェが溢れていなかっただろうから、きっとこの空間と飲み物の特別感は格別で、思い入れも深かったに違いない。


そう、特別感。ご褒美には欠かせない。残業に疲れた私は、世界的な著名人とこのグラスを交わし、口の中の風味で、その感覚を共有したような気がした。


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